教員指導に親は満足!?

2012-05-31

本日2012年5月31日(木)読売新聞朝刊29面(地域(横浜版))より
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20120531-OYT8T00816.htm

教員指導に親「満足」39%
市教委調査「教員に一般常識を」要望も

という見出しの記事が目に留まりました。

横浜市教育委員会の調査で、教員の指導に対する満足度を保護者に尋ねた項目で「満足」「どちらかといえば満足」が39%だったということです。
2007年の調査から10ポイント以上アップしているということで、学校の取り組みが評価されてきているという見方もできる、と。

一方で、教員へ望むこととして、「社会人としての一般常識」が挙げられたとか。

具体的に何を「一般常識」と指しているのかは不明ですが、確かに教員は閉鎖的になりがちで、社会経験が少ない(学卒でそのまま教員になるから)とよく揶揄されるのを見聞きします。

ですが、本当にそうなのでしょうか?

学校の先生だから、学生からストレートで教員に、つまり「学校」から「学校」に立場を変えて移るだけだから、一般常識が欠けていると捉えられているのでしょうか。

そうであるなら、ちょっと短絡的な発想のような気がします。

もちろん、そうした社会人経験の少なさが災いすることもあるでしょうが、学校は学校で一つの社会ですから、その特殊さばかりを槍玉にあげるのはどうなんでしょうか。

特に、学校はこれから社会に出ていく人たちを教育する場ですから、その意味で「社会性」は重要な教育的テーマとなります。
しかし、一方で、まだ社会人ではない人を相手にするからこそ、学校という場はリアルな社会そのものではなく、特殊な社会空間を作っておかなければならないということもあるのではないでしょうか。
その意味では、特殊空間を作って、特殊空間に居続ける存在としてはリアルな社会そのものと多少のズレが生じてしまう、とは考えられるかもしれません。
また、公立の教員は公務員ですから、よくある一般企業のサラリーマンの感覚と公務員の感覚のズレというものをさして「一般常識が欠けている」と言われているのでしょうかね。

そうであったとしても、やはり、教員だから一般常識に欠けるというのは、何とも納得しにく論理です。
当然、何をもって一般常識とするかということもありますから、自分の尺度だけで「常識」がある・ないというのは、なかなか判断できないことだと思いますが、いかがでしょうか。

特に、これからますます加速するであろうグローバル社会の中では、「日本の常識は世界の非常識」「世界の常識は日本の非常識」なんてことはここそこで出てくる問題でしょう。
だからこそ、異文化理解は実は身近なところでも必要なものだと思いのですが・・・。
(ちょっと話題がズレるのでこのテーマについてはまた別の機会に)

さて、昨今、学校教育の重要なトピックの一つに「モンスターペアレンツ」というものがありますが、モンスターではないにしろ、学校を数あるサービスの一つと捉え、かなり自分勝手な要求を突き付けるということが数多くあるようです。
もちろん教員として問題がある人に対するクレームは正当な行動ですが、単に自分だけの利益ばかりを優先させただけのクレームは、どうなんでしょうか。

そうした言動を意識的にしろ、無意識にしろ行ってしまう人には、そうする前に考えてほしいことがありますよね。

「あなたの教育観はどんなものですか?」
「あなたのお子さんにどんなふうな人になってもらいたくて、だからどんな教育を受けさせようと考えてますか?」と。

今回の市教委の調査では、保護者向けの質問として「家庭での教育に自信があるか」と言う項目があり、「ない」または「どちらかといえばない」と答えた人が56.6%だったということです。

つまり、中には自分たちの教育を棚上げして、学校教育には厳しく注文を付けるという方がいるということが考えられますね。

もちろん教育は、教育のプロに任せたいと言う気持ちで、実際に学校に任せている方が多いのでしょうが、根本にある教育観や我が子に教えていきたい価値観というものはきっとあるはずです。
いや、ぜひ持っていてほしい。

具体的な教科学習、技術的な学習、そうしたものは教科学習やその道の専門家に任せるべきでしょう。
しかし、その根本を支える意識や精神、価値観などの部分の問題は、学校でどうこうなる問題ではないでしょうし、学校に求めるべき問題ではないとわたしは考えます。

だって、学校はある意味オフィシャルな人材の育成が目標・目的ですから、そのための教育をこそ行う場なのです。
ですから、個人としてその社会にどう参画していくのか、個人としてどう学習していく(生きていく)のかはやはり家庭などのプライベートな部分でこそ、もっともっとあれこれ試行錯誤しなければならないと思うわけです。

それもこれも、教育というものが、いつの間にか大変狭い範囲での、限定的なものになってしまったために、学校で行う学習も家庭で行う学習も塾などで行う学習もどれもみんな変わり映えのしないものになってしまったからではないでしょうか。

つまり、受験などを含めた「テストのための学習」ですね。

テストに出るから・・・
テストに出すから・・・
入試で出るから・・・
入試には出ないから・・・

学習がいつの間にか「テスト」にしばられ、そうではない学習の価値が大変下がってしまっているように思います。

多くの学習は、すべて「テスト」にしばられたもので、だから本来家庭で考えるべき問題も学校でも問題になり、学校での問題が塾でも問題になり・・・

学習(教育)はもっともっと多様なものがあるはずです。
学校はその中の一つ。

そう考えれば、つまり、もともとどっしりと自分の、自分たちの学習(教育)というものに対して身構えていれば、学校教育での些末なことなどには動じなくなるのではないでしょうか。

そんなある意味理想的な状況を作っていくためにも、公共の学校ではなく、受験・入試等の学習だけでない学習機会(教育機会)を提供できる場として学習塾はこれからもっと意義深い活動をしていくべきだとも思います。
学校やご家庭以外のフラットな場として、より多様な学習の機会、情報などを提供できるプラットホームとして、学習塾がそんな場になることが、現在の不健全な?状況を打破するためにも大切な視点ではないかと考えます。

少なくともそうした想いから当塾は誕生していますし、日々の活動もそうした想いを持って行っているつもりです。

皆さんはどのようにお考えですか?


                 
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