子供が農業に触れる機会

2012-05-23

2012年5月23日(水)
昨日の涼しい雨模様とはうって変わり、少々暑いくらいの陽気です。

本日読売新聞朝刊12面「気流」(投書)でこんな投書文に目が留まりました。

「子供が農業に触れる機会を」

77歳の方かた寄せられた投書文ですが、タイトル通り、子供たちが身近な食品がどこから来るものか分からなくなり、「種をまくと芽が出る感動を味わったことがない」ことを憂う文章でした。

最近わたしの周りでは市民農園など近隣で農地の一部を借りて家庭菜園をつくっている人がチラホラと出てきています。
都会暮らしでなかなか土に触る機会のない人や、近隣にそういった農地の一部を借りられるところがない方は、県外などに土地を借りて、週末菜園のような形で土や野菜に触れるということもあるようです。

野菜や食品の話は、ここ何年も産地偽装なども問題、食料自給率などの問題として、新聞や各メディアで話題となってきましたが、ここでは子供が土に触れ、農作物に触れることのいかに大切なことであるかを教育的な視点で考えることができる話題でしたので、注目してみました。

子供が土に触れること、農作物など食品に触れること。
その大切さ。

投書文では、「人間が食物の恩恵を受けて生きることを理解するのはとても大切なことだ」とまとめられていました。

まさくしその通りですね。

これだけ様々な食品(多くは加工食品)があふれ返る飽食の時代、食料自給率が低いと叫ばれる日本で、毎日多くの食品廃棄が起こっている。

講師の仕事をする前にアルバイトでコンビニや飲食店で働いたことがありますが、毎日多くの食料品が廃棄されていました。
もちろん当時と今では廃棄に対する考えも大分変っているとは思いますが、当時は、廃棄する食品がモッタイナイという感覚は前面には出てこず、廃棄した商品の値段に対してモッタイナイという意思が強く出ていました。

当然営利を目的にした企業ですからそれはある意味当然の感覚ですが、しかし、扱うものがものであるだけに、それがここではない別の場所に運ばれていたのなら、それは誰かのお腹を満たし、誰かに十分な栄養を与え、誰かの笑顔に直結するものであったかもしれない・・・。

そう考えると、単に便利さばかりを意識する行動は、その先に何が待っているのかとつい考えたくなってしまいます。
自分のそうした便利さという恩恵を受けて暮らしていますが、その便利さは誰かがもたらしてくれているものだと折に触れ再確認するようにはしています。
それは、何も直接便利なサービスをしてくれる人に向けたものだけではなくて、もっとその先に、無数に関わっているすべてのものに対して。

だって、自分が今こうして「幸せ」に暮らしていられるのは、飢えや寒さを凌ぐことが当たり前に出来て、日々刻一刻と生命の危険に晒されているわけでもなく、そうした「安全」「安心」な暮らしは、自分の努力だけで成り立っているわけではありませんから。

自分が「幸せ」にいることは、当然「幸せ」な環境があって初めて成り立つことで、自分だけが「幸せ」になるというのは、どうも考えづらい。
「自分だけ良ければそれでいい」とか「お金を手にすれば幸せになれる」という発想は、特に、今の社会状況では少しずれた考えになるのではないでしょうか。
どうでしょう、皆さんはどのようにお考えですか。

そうした周囲の「幸せ」と一緒に自分の「幸せ」を実現しようとする意識の人が育っていくためには、やはり周囲の環境との共存意識が育まれる必要があると思います。
それは人間だけでなく、動植物なども含めて。
そうした人材こそ、いつの時代も変わらず、今の時代は特に、求められているのではないでしょうか。
そうした人材こそ本当のエリートだとわたしは思います。

少し話がそれてしまいましたが、そうした意識を育むためにも、土に触れる、農作業を体験することは大切なことだと思います。
さらに言えば、それだけでなく、五感をフルに使って、直接体験、体感する経験が多く持てると良いですね。
そうした体験から得られるものは、おそらく座学で、参考書から得られる知識とは大きく質の異なるものでしょう。

当塾でも、将来的にそうした直接体験の機会が積極的にご提供できればと考えています。

こうした体験学習があると良いというようなご意見、ご要望等ございましたら、お気軽にお寄せ下さい。


                 
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