本から情報・電子書籍から情報

2013-03-07

本日はこの記事に注目!
2013年3月7日(木)読売新聞27面

「本から情報 興味増幅」

という見出しが躍る記事です。

「理科読と宇宙」をテーマに2月に実施された「よみっこ運動記念講演会」の特集記事です。

「理科」と「読書」

どちらも最近「〇〇はなれ」が深刻視されて久しいもの。

どちらも大変興味深いもので、楽しいものなのに、何でなんでしょう。

面白く語れる人、魅力的にその世界を垣間見させてくれるものが少なくなってしまったからなのでしょうか。

逆に、そういったものよりも、誰かによって巧妙に作られたバーチャルな世界での遊びの方がずっと魅力的だからなのでしょうか。

科学的な読み物に限らず、文学的な作品でも、読書をすることで得られることは、単にそこに書かれている内容だけではありません。

もちろん、科学的な読み物であれば、現代科学あるいは過去の科学史から、科学的な知識や研究の動向などの情報を手に入れることができます。

しかし、それだけではなく、そこに登場する科学者の姿勢に感銘を受けること、困難な状況を打破した過程を自分の課題解決のヒントにする、などなど考え出したらいろいろ出てきます。

それは当然文学的な作品でも同じで、カッコいい(カワイイ)登場人物に自分を重ね、その物語の中を生きてみることも楽しいでしょうし、ストーリーよりもむしろ作者の文体に注目してみるのも一興です。

あるいは、そうした本の「内側」のことだけではなく、装丁や帯、挿絵などに注目することも楽しいものです。

こうした「活字ばなれ」「理科ばなれ」が叫ばれると、当然のようにその復活を目指す動きが出てきます。
私自身は「理科好き」「活字大好き」人間なので、やはり今の子供たちにもそれらの魅力を伝え、ぜひとも好きなものの一つにランクインさせてほしいと思っています。

ただ、こうした復活の動きは、ややもすると古いまま、昔のままの姿での復活を目指そうとすることにもなりがちです。

一種のノスタルジーでしょうか。

しかし、実際には、そうはならない諸条件がそこかしこにある。
つまり時間は流れ、目指すべき「昔」とは全く別の時空に「今」はあるわけです。

であれば、単純に「昔」に戻そうとするのは、無理がある。
では、「昔」の良い点を再度現在に活かすためにはどうすればよいか。
そうしたことを踏まえて考えなければ、素晴らしいはずの動きも大きな反動を受けることになるでしょう。
無理をしているのだから。

さらにいえば、そもそも読書の意義とは、その一つに「温故知新」の精神があるのではないでしょうか。
つまり、古いはずの、昔のことをその後にも語り継ぎ、その時々で、復活させる。
しかしそれは昔のままの状態で復活させても大して意味はないものかもしれない。
「今」という文脈の中で、「今」や「未来」を創造するための糧としてこそ活かすべき知識がそこ(本)にはあるはずです。

さて、この記事を見てそんなことを考えていたら、同日の新聞にもう一つ面白い記事がありました。

「アップルが電子書籍」

という見出しの8面の記事です。

すでの電子書籍はアマゾンや楽天などが展開していますが、iPadやiPhoneなどでも電子書籍が読めるようになるということです。
タブレット端末に関してはアップル社のiPadが売れていると聞きます。
そのiPadでも本格的に電子書籍が読めるとなれば、さらにiPadの魅力がますことになりそうです。

私自身タブレット端末も電子書籍もまだ未体験ですが、近々実際に手に取って試してみたいと思っていたので、どんな端末を持つか大変迷うことになりそうです。

私自身やっぱり読書は紙の本をぺらぺらめくりながらしたいとは思うものの、分厚い本をいつも持ち歩けるかといえばそうではない。
しかも、読書目的によっては複数の書籍を同時に携行したい場合もあります。
1冊でも重い本を何冊も持ち歩くのはとてもしんどいものです。
そういう意味では電子書籍はタブレット端末にデータとして保存しておけばよい。
本の重さが端末の重さに加わるわけではないので、容量の許す限り何冊でも持ち歩くことが可能だ。

さらに、読書をしながら語句の意味を調べたり、情報を検索することもできる点は素晴らしい。
もちろん紙の本でも場所や状況が整っていればそういう読書も可能でしょう。
タブレット端末、電子書籍では、その場所と条件をほとんど考える必要がない。
これはこれで活用しない手はないでしょう。

先の話と比較すると、もしかしたら「真の」読書好きの人からすれば、電子書籍なんてものはけしからんということになるのでしょうか。

でも、これは新しい読書の形です。
温故知新の一つの形なのかもしれません。

もしかしたら単に好みの問題に過ぎないのかもしれません。
紙をペラペラめくることが良い人はめくればいいし、
より利便性を追求したい人は画面を指でスライドさせればいい。

要は、それぞれのメディアの特性を考え、必要に応じて使い分けることで、より豊かな「読書生活」をすることでしょう。
「何を使って読むか」ではなく「どのように読むか」の方こそ意識しなければならないのではないでしょうか。

さて、同日の読売新聞には何ともう一つ、これらの話題に関連した記事がありました。

10面の投書欄。

「孫と秘密基地作り昔の遊び方を伝授」

という投書。

小学生の孫と一緒に自宅の裏山で秘密基地を作ったというエピソードが紹介され、
最近の子どもが自然の中で遊ぶ機会が少なくなっているから、
これからも昔ながらの遊びを伝授していきたいという投書でした。

これも大変「今」っぽい話題ですね。

先の「〇〇はなれ」の一つといっても良いでしょう。

都市部の子どもたちの日常では、自然の中で創意工夫して遊ぶ、
秘密基地を作るなどということはなかなか難しい体験でしょう。

だからこそ、意識的に自然に触れる機会を増やそうというのも大変重要なことです。
私たちはやはり自然とともに生きていかなければならないから。

ただし、そうはいっても昔のように自然の中に秘密基地を作って遊ぶということはなかなかできない。
ではどうすればいいのか。
秘密基地を作るということが、自然との触れ合いということ以外にどんな意味を持っているのか、ということを考えておかなければならないでしょう。
だって、自然に触れることが絶対的に必要なことであるならば、身近なところにほとんど自然がない人にとっては、「自然にふれろ」という言葉は、何の意味もないことなのですから。

そのようにして現状と昔の大切にしたいものを融合させて、現代に蘇らせる・・・
そうした温故知新がなければ、たとえどっちが優れていたとしても、真に私たちにとって豊かなものとはなり得ないでしょう。

さて、本日の新聞では全く別々の記事を「温故知新」というテーマで切り取ってみました。
すでに編集された新聞という情報の再編集、リメイクというわけです。

いかがでしょうか?

みなさんはこの話題についてどうお考えですか?

TOPページに戻る◆


                 
Copyright(c) 2012 Learning-Labo by STcommunity All Rights Reserved. Designed by o2BusinessTheme