「プロ軽視の大衆社会」

2013-01-05

本日(2013年1月5日(土))読売新聞朝刊1面

プロ軽視の大衆社会

という見出しの記事に注目したいと思います。

読売新聞を定期購読されている方はぜひともお読みいただきたい記事です。

記事は、「専門家」の言うことは信用ならないという風潮が強まっているということから始まります。
「うのみにしない」というのならまだしも専門家を嫌悪して素人の感覚などを優先することに対しての危機感をあらわにしています。
記事では、民主党政権が実施した「事業仕分け」や医療におけるインフォームドコンセントを例に挙げ、その問題点などを指摘しています。

確かに、財政難の昨今、政治家や官僚の「ムダ使い」などが問題となってきていますが、あれもこれも短期的な効果・効率では測れない要素のものまで切り捨ててしまっては、本末転倒。
日夜私たちのあずかり知らぬところで、国益にために汗水たらしている政治家や官僚の方。
真面目に、真摯に国益のために動く彼らをまでも批判、だけでなく否定するのはどうなのか。
私たち自身も一度じっくり考えてみる必要がありそうです。

また、記事は最後に専門家とインターネットの口コミを比較しています。
確かに、インターネット上では膨大な情報が渦巻いているので、自分が知りたい情報に気軽に、手軽にアクセスすることが可能です。
しかし、やはり記事にある通りそれらの多くはもしかしたら「真偽も責任の所在も不明な言説」であります。
そうした誰が発したか、何を根拠としたかよく分からないコトバをうのみにしてしまうことは、それもまた多くの危険をはらんだものであると自覚しなければならないでしょう。
そうでなければ、記事にある通り「社会の思考力」が奪われていくことになってしまうでしょう。

ただし、だからといって専門家のコトバを全面的に信頼するべきだということではありません。
専門家のコトバや専門家によって導き出された「答え」は、しかるべき手続きの後に示されたものであれば、当然傾聴に値するでしょう。
私たち個々人ではなかなか取り組めない実験やデータ収集、思考の結果なのですから。
しかし、それは無批判に、何も考えずに上から下へとありがたく頂戴するものではありません。

それと同様、インターネット上のコトバも無批判に、多くの人がそう言っているからという理由で、受け取ってしまってはいけないものでしょう。

重要なのは、どちらの場合にしろ、あるいは両者をかけ合せながら、自分が思考するということではないでしょうか。

もちろん個人の問題だけでなく、社会の問題、多くの人が関わる問題は自分一人では「答え」が出せないものです。
しかし、だからといって個々人が自分で考えるということを放棄(誰かのコトバに無批判、無自覚に従う)して良いということではありません。

こうした問題についても、老若男女問わず、一度じっくり「自分で考えみる」と良いのではないでしょうか。
そうした「考える」オトナが増え、その周囲に「考える」コドモが増え、より良い社会の輪郭が見えてきたら、どんなに素敵なことでしょう。

私たちラーニング・ラボは、そうした「主体的」「論理的」に思考する社会的市民の育成のために、その基本となる「ことばの力」の育成に日夜励んでおります。
(励んでいるのは生徒の皆さんですが・・・。)
具体的には、「作文」「小論文」「論文」などの書き言葉による「表現力」の育成。
また、「スピーチ」「ディスカッション」などの話し言葉による「表現力」の育成。
その根底にあり、両者とともに広げ、深めるべき「思考力」の育成。
こうした課題を「基礎講座」というオリジナル講座にて受講生の皆さんと一緒に創っています。
少々お堅い話になってしまいましたが、単純に「作文」「小論文」などに不安を抱えている方、いわゆる「読解力」に不安を抱えている方は当講座の受講をおすすめします。
テーマは難しいですが、実践する作業は楽しいものもいっぱいあります。
ぜひ一度お気軽にご相談下さい。
親子同伴での体験授業も随時ご案内できます。

※ちなみに「専門家」についてより深く考えてみたい方は以下の著書がおすすめです!
 ぜひご一読下さい。

 ダン・ガードナー 『専門家の予測はサルにも劣る』飛鳥新社 (2012/5/23)
 ドナルド・ショーン『専門家の知恵』ゆみる出版 (2001/05)
 

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